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アドレナリンが体内を駆けめぐる修羅場とジャンクフードの世界に生きていた創業時からのプログラマたちは、死ぬほど退屈し始める。
こうした創造型から現状維持型への過渡期は、会社にとってもその創業者にとっても危険な時期である。
メタプログラマ、とりわけ階層構造をとるメタプログラマ・システムは、創造型企業ではうまく機能しない。
この種の組織では社員たちは大胆でものごとの裏を知っているから、思いどおりにコントロールできないのだ。
しかし、MSではメタプログラマは成功している。
この会社は、かって一度も創造型企業であったことがない。
従って、創造的コンピュータおたくが「これはただの仕事だ」ということを知ったときに副産物として生まれる、創造型企業が避けられない危機に直面したこともない私はカリフォルニアに住んでいる。
収入とは分不相応な家で、近所は髪を青く染めた未亡人や、すでに車をBMWからアキュラに乗り換え、心の底では共和党に投票しようかと考えている共稼ぎの夫婦なテレビの大半がまだ白黒だった頃、タイトルバックにウォーリーとビーバーが通りを歩く姿が重なって映し出された番組があったのを憶えているだろうか。
CBSが制作した『ビーバーちゃん』の邦題で、日本でも1960年一月から放映である。
クリーバー家の兄弟、ウォーリーとビーバーが通り過ぎたあの家に、いま私は住んでいる。
あの並木道、50×105フィートの私の敷地、私のシロアリ、ドライブウエーに残った私の57年型スチュードベーカー・ゴールデン・ホークから漏れたオイルの跡、庭に実を落とす私のオレンジの木。
オハイオ州アップル・クリークで育った子どもにとって、真冬に表に出て自分の家の木から新鮮なオレンジをもいで来るのはそれこそ天国だった。
それにひきかえ、ニューョークは地獄だ。
いやいやながら行かなければならないこともあるニューョークだが、この街は不機嫌な人々やゴミ、煮立ったコーヒー、地面の穴、そして妙めすぎた野菜でいっぱいだ。
それなのにマンハッタンには私の友人がたくさん住んでいて、ここは最高の街だと言う。
彼らのニューョークには劇場や音楽、美術館、巨大な図書館があり、セントラルパークがある。
しかしパロアルトの私の家には、優秀な電話サービス、一本のオレンジの木と西部小説の作家、ルイス・アムールの全集が収まった書架ぐらいしかない。
友人たちはパロァルトに住んだら退屈のあまり死んでしまうと断言するが、私だってニューョークなんかに住んだら退屈のせいではないが死んでしまう。
どちらが正しいのだろう〜実は、どちらも正しい。
ここには、「内面の心的葛藤」と呼ばれる心理学の法則が作用している。
報酬がそれを達成するための労力に見合わないとき、果たしてこれでいいのだろうかと迷うことがある。
これが内面の心的葛藤である。
私の場合で言えば、たった一本のオレンジの木のために月21000ドルもローンを払う価値があるのだろうかと迷ったときに内面の心的葛藤に陥ることになる。
これを解決するには家を売り払ってアップル・クリークに帰るか、全価値観を曲げてこれは努力に値することだと自分を納得させるしかない。
当然、私は現実を曲げるほうをとる。
誰だってそうしている。
だから私は、暖かい冬と新鮮なオレンジは何にもまして価値があると自分自身に言い聞かせているのである。
ニューョークの友人たちも同じように、実際は見もしない芝居や恐ろしくて足も踏み入れない公園を引き合いに出して、「だからニューョークはすばらしい」と言うのだ。
内面の心的葛藤は、私たちの人生で大きな役割を果たしている。
そしてこれは、多くの人が依然としてI社のために働いている理由として、いまのところ私が思いつく唯一の理由でもある。
説明しよう。
1983年の初め、I社のドン・エストリッジという男がいままさに全世界の製造担当副社長になり、25万ドルのサラリーとボーナスを手に入れようとしていた。
全世界の製造担当副社長が、いったいどんな仕事をするか興味をお持ちだろう。
実は、I社ぐらいの会社になるとたいしてすることなどない。
なにしろ各事業部はそれぞれ製造部門を持ち、お互いに張り合っているくらいである。
I社には、それまでは会社に尽くしてきたが、やがて世界最大のコンピュータ会社が持つブルックス・ブラザーズ的現実と噛み合わなくなる人間がいる。
エストリッジの副社長としての役割は、そんな人物を隠すために作られたパターン化した役割を演じることだったのである。
1980年以来、エストリッジはI社PC開発チームのリーダーとして、I社をこれまでにはあり得なかった方向へ、これまでにはなかった速さで動かそうとしてきた。
エストリッジは外へ出てルールを破れと言われ、そのとおりにやってきたのだ。
ところがそれが原因で、会社にとって危険な人物になってしまったのである。
彼のチームは、可能なかぎりI社らしくなくなることによって成功を収めた。
ところがその結果、エストリッジのやり方はI社のやり方とは違うという理由で、彼は信頼を失ってしまったのだった。
全世界の製造担当副社長への就任、おめでとう。
そして1983年のある日、フロリダ州ボカ・レイトンにあるドン・エストリッジ家の玄関に、アップルコンピュータ社の新しい社長を探していた2十8歳のS・Jが現れた。
Jは、他人への接し方を3種類しか知らない。
そそのかす、非難する、無視する、この3つである。
Jに関わった人間は結局誰もがこの3つをすべて経験し、ときには2度以上経験することもある。
エストリッジに接触したとき、Jはそそのかしモードにあった。
彼は必要とあれば、信じられないくらい他人をそそのかす才能を発揮する。
Jは世界最高のセールスマンであり、このI社の大物をリクルートしようとあらゆる才能をつぎ込んだ。
何年ものあいだ、自宅でアップルUのプログラムをしてきたエストリッジはカリフォルニアのアップル本社を訪ね、この会社が気にいった。
年俸100万ドル、支度金100万ドル、それとシリコンバレーに夢の御殿を買うための200万ドルの貸付金。
この条件も悪くなかった。
エストリッジは閑職に追いやられようとしていたし、I社にいてもおそらくトップにはなれない。
アップルとの相性は完璧だし、給料はとてつもない額だった。
しかし彼はしばらくのあいだ悩み抜き、親しい友人たちに相談した結果、この話を断わった。
内面の心的葛藤である。
たとえアップルに社長のイスが用意されても、ドン・エストリッジにI社を辞められるわけがなかった。
なぜならアップルはただの会社にすぎないが、I社は国家だからである。
年商600億ドルのI社は、ほとんどの国家より大きなGNPを持つことになる。
I社の従業員数は約38万人だ。
そこに配偶者と一人あたり平均一・8人の子どもを加えると、I社は実に100、、万人以上の市民を抱えていることになるのである。
人口統計学的に見るとI社はクウェートによく似ているが、気質的にはスイスに近い。
I社はスイスに似て保守的で、いくぶん怠惰で、変化の速度は遅いが裕福だ。
どちらの国も、出ていく金より多くの金を手に入れる習信哩がある。
どちらも学習速度が遅く、自分のペースで周囲に適応していく。
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